統合失調症の見える世界

妄想の世界に閉じ込められている

俺の人生

僕は底辺だ生まれたばかりのころは将来を期待されていたのになぜこうなったのか
僕の今までの人生をざっとではあるが書いていこうと思う。
ニートになった理由として何が主な原因かといったらやはり親の育て方が悪かったからだと思っている。
片親の父親一人に威圧的な態度で育てられ当然豆腐メンタルになり、コミュ障で、
社会性もないゴミが育ってしまった。
それでも小学校を卒業するまでは普通に過ごせていたのだが、
中学受験をして私立中学に通うものの半年で辞めて
ひきこもりになってしまった。
なぜ不登校になったかというと、そもそも第一志望の学校では無かったので
モチベーションがあまりなかったこと
(第一志望校の合否は繰上り合格だったのだが親に行かせてもらえなかった
)学校生活が楽しくなく(いじられていた)
本来僕が通う学校ではなかったと思いどうでもよくなって不登校になったというわけですね。
不登校になったことは今でも後悔していません、
まぁ、希望通りの学校に行っても学力的についていけず
結局は不登校になったかもしれないですけどね。
引きこもっている間はパソコンがあったのでネットサーフィンしていました、
ただ当時のスペックはvistaでcpuはatom
メモリも一Gしかなかったので激重でした。
やれることといったら2chしかなくて一日中やってました。
主に見ていた板はニュース速報板(通称ニュー速)でそこからステマ騒動で今も見ている嫌儲板に移動しました。
そのおかげで性格がさらにクズになっていきました。
いつまでも不登校ではだめなので私立中学から近くの公立中学に行くことになり、
不登校向けの教室があったのでそこに通うことにしました。
そのときは中学2年生で友達も一応はでき通っていましたが
3年になると元の学校に戻ったらしいので通っていたのは僕と
もうひとり女の子がいるだけでした。特に恋愛関係になるわけでもなかったです。
そして姉がバイト代でpspを買ってきた。
当時はMHP2Gが流行っていたので1980円のベストプライス版のゲームを買うことにしました。最初はドスギアノス戦で何度も負けごり押しじゃダメなんだ、
ヒットアンドアウェイがいいのではと学び最終的にはソロで(友達一人もいないぼっちだったので)
全クリしました、その時にはp3も発売されていたので当然それも買い、
中学生活はモンハンで時間が消えていきました。
そして中学を卒業すると親から通信制高校に通えと言われたので通うことになりました、
その代わりにデスクトップパソコンを買ってもいいと言われたので予算15万円で
BTOツクモで買いました。ハイスペpcだったのでやれることは格段に増え、
AVAというオンラインfpsゲームに嵌りました。ちなみに通信制高校は3か月で辞めました。
なぜなら体育の授業でたまに
いつも通う場所とは違うところに行くのですがその駅で前の学校の友達を見つけたからです、駅が同じ場所にあったので。
通信制高校に通わなくなった僕はネット三昧の自堕落な日々を送りました。
具体的には夕方の5時に起床(昼夜逆転してた)
ご飯と風呂に入ったらすぐにパソコンをしてゲームや動画やssをみたり2chをやっていました、
そして朝7時に就寝するという生活です。
その時は今から思うと人生の中で一番幸せだった気がします。しかしそんな生活もいつまでも続けられません。
親が自己破産して住む場所も変わったのだ。
今までは持ち家の一軒家に住んでいたのだが、マンションに住むことになった。
僕は戸建てがいいといったのだが聞いてくれなかった。
そしてそれが僕の運命を大きく変えることになるのだった。
引っ越してから2年ぐらいは意外にも普通に過ごせました。
ただ新しく上の住人がやってきてからは最悪な日々が始まりました。
まぁ、その前の住人も子供がいたんだけどある時洗濯機から水漏れしたらしく天井から水がぽたぽたと落ちてきました。
すぐに上の階の住人が謝罪してきて一件落着かと思ったのですがその日からこちらが水を使うと上から床ドンされました。
子供が水が嫌いになって水を流す音に反応しているらしいですけどね。僕が風呂にはいったりトイレを使ったりするたびに床ドンをされまくっていました。
しかも上の階は普通に水を使っているわけですよ。なんでお前らが自分だけは反応せずに使えるのか、わざとやっているのでないかと疑心暗鬼になっていました。
さらにうちの親がタバコのせいで痰を吐く音がいら立ちを覚えました。「かぁーっ、ペッ」を毎日30回以上聞いていましたからね。ストレスがやばかったです。
それから半年たって親の痰を吐く音もマシになり上の住人も引っ越しました。ようやく平穏な日々が送れると安堵していましたが本当の地獄はこれからだ。
住人が変わってから10か月ぐらいは普通に過ごせていましたがある時
いつもの天鳳を鬼打ちしているとき上から「コンコンコン」という音が!
最初の数回は気のせいかと思っていたのですがやはり音がする。考えてみるとマウスのクリック音が鳴っているときに床ドンされていると気が付きました。
その夜寝ようとすると呼吸するたびに床ドンされ「うるせんだよ!!」という声がするではありませんか。その日から寝られない日々が続いたのです。
朝起きると寝不足で頭が痛い、しかしパソコンが唯一の楽しみなので夜10時ぐらいまでやっていました、ちなみにマウスの音に合わせて嫌がらせの音も出されました。
とにかく夜寝るのが怖かった。いびきとかならまだしもなぜ普通に呼吸しているだけでもうるさいと言われなければいけないのか。そんな日々が二か月続きました、
睡眠時間は二時間も眠っていなくだんだんと自殺願望が芽生えてきたのです。僕はひきこもりだし引っ越しも時間がかかるのでとにかく一秒でもこの家にいたくなかった、
自殺ならもう辛い思いもしなくてもいいと思いました。
自殺方法をネットで調べまくって白羽の矢が立ったのは硫化水素でした。
首吊りなどより致死性が高いことが魅力的でした、
安楽死性よりも自殺未遂だけは嫌だったのです。
そして2016年1月11日、運命の時が来ました。昼ご飯を食べているとき「これが最後の晩餐か」と思いました、昼食後すぐに自分の部屋で実行に移しました、前もってゴミ袋や石灰硫黄合剤、サンポールなどは買いました。
着々と死ぬ準備を整えて後はゴミ袋に頭を入れて布テープで巻いて洗濯ばさみをとって息をすって死ねるところまでいきましたが、
間の悪いことに臭いで姉にバレてドアを開けられ失敗してしまった。
できることなら一人の時に実行したかったのですが、もう精神的に限界で一刻も早く死にたかった。それで親に報告されてその日のうちに精神病院に入院することになりました。
病院には昼の二時についたと思います、医者の人がいて色々質問されて2時45分ぐらいに個室に案内されました。俗にいう閉鎖病棟というやつです。
その時僕は精神的に参っていて絶望的な気持ちになっていました、こんな人生もういやだと何も考えたくなかった。
スタッフがきて色々身体の検査をして夕食を食べてその日は寝ましたがあまり寝られませんでした。次の日がきましたがドアは閉められたままで(食事以外はドアを開けてくれない、ドアが閉まると鍵も自動的にかかる)
騒音からは逃れられましたがそれとは違う辛さをこれから味わうことになるのでした。そう暇で暇で仕方がないのです。僕はパソコンで2ch見たり動画見たりゲーム(天鳳)したりする一日で起きている間は基本的にずっとパソコンしていたので何もすることがなく暇で暇で頭がおかしくなりそうでした(すでにおかしい)。
二日ぐらいたってドアは開けてくれるようになりました。部屋の外を出て回りを見渡しましたが
個室が8個ぐらいとシャワー室,広間(テレビがある)、ナースステーションしかなく広くはなかったです。シャワーは週2回で教えてくれたのはおばあさんでした。
それと僕と同じぐらいの年の若い男の子とも仲良くなりました。
その子はガソリンを飲んで自殺しようとしたらしいです、イケメンで高身長な彼でもそこまでいくんだなと思いました。
暇つぶしといったら話すことぐらいしかなくて、(テレビは毎日見てるから同じニュースばっかりで面白くなかった)話せないときは暇で辛かった。
どうしても耐えられないときはタバコを吸う個室(すごく寒い)にいって気をまぎらわして過ごしていました、夜も最初の内は寝られなくて部屋の中を4時間ぐらいうろうろしてました。
その時が辛さのピークでしたね。
そんなこんなで2週間ぐらい経ち大部屋といわれる開放病棟に移ることになりました、閉鎖病棟に飽き飽きしていた僕は楽しみだったのですが大部屋の部屋(4人部屋)では患者の一人がぶつぶつと早口で独りごとをいっていてすぐに後悔しました。
まぁ夕方だけで夜は静かになったからいいんですけど。開放病棟はベランダもあり(ただし外に出られないように柵がある)僕はずっと廊下とベランダを行き来していました、他人から見れば怖かったと思います、
しかし閉鎖病棟ではうろうろすることもできなかったのでずいぶん楽になったと思います。何人かと仲良くなったし寝つけるようになったのでここでの生活は悪くありませんでした。
ただ暇ではあるので家族に電話して3dsとモンハン買ってくれと言ったら持ってきてくれました。ゲームする時間は主治医に決められていて一日二時間まででした。それでもゲームができたのでうれしかったです。
二か月ぐらい経って外出許可が下りました、僕はパソコンをやりたかったので家族と家に戻りました。帰る途中にゲーム屋さんでポケモン アルファサファイア時のオカリナを買って
てんやで持ち帰って戻りました。
ひさしぶりに家に戻ると違和感がすごくて人の家に入っているかのような感覚でした。外出は夕方の5時に病院に戻らなくてはいけないのでパソコンをすぐに立ち上げました(帰ったときは11時ぐらいだった)。
ssと動画を見て天鳳鳳凰卓で打っていました(ちなみに負けた)。楽しい時間はすぐに過ぎ夕方の4時になったのでタクシーを呼んで病院に戻りました。
それから一,二週間に一度外出して過ごしていました、何回か外出したら宿泊許可も出たので家に戻りました、寝るときに嫌がらせされるのではと不安でしたが何事もありませんでした。
長かった入院生活も終わりを迎え4/9日に退院できました。家に戻った後はポケモンでレートに潜ったりルンファク4をやったり天鳳打ってました(なお無事鳳凰卓チャオった模様)。そんな生活を半年ぐらいしていたのですが
ある日から体調が悪くなりました、具体的には何もしたくない、何も楽しくないのです。
天鳳も打たない日が続きました、では何をやっていたかというとずっと寝てました、
平均15時間は眠っていました。
1年ぐらいたってすこし起きていられるようになりました、姉と外に遊んでいられるようになりました、しかしある日病院に通院していると帰るときに突然激しい尿意が来ました、トイレにいっても治らず家に帰るまでずっと尿意に耐えてきました。
それから尿意がたびたび突然くるようになりました、原因を探ってみると不安だったりするとなる確率が高いです。
3年たった今でも治らずなった回数は優に150回以上です、ホントこれ治してくれ。
2018年に父に高卒認定試験を受けろといわれたので第一高等学院の高認コースに入りました、学費は33万円です、高っ!
高卒認定試験は毎年8月、11月にあるのですが5月から勉強し始めました、毎日3時間勉強したと思います、特に数学と生物を勉強しました。そして8月、運命の日がやってきました。試験の前日に県活センターに泊まることにしました。
家から3時間ぐらいかかった。初日は何事もなく過ごせました、試験一日目、現代社会の試験が終わりを迎えるまでは正常でしたが終わったときに尿意が来ました、
次の国語の試験までは昼休みがあり1時間ぐらいありましたが昼食をとるきにもなれずこの尿意が収まってくれと願いましたが休み時間が終わっても治らなかった。
僕は数学と生物の試験には出るからそれ以外は休みたいと父に訴えましたが
やってこいといわれ仕方なく尿意に耐えながら受けることにしました。
国語は読解力が試され考えなくてはいけないのですが尿意に耐えながら問題を解くのは辛かったです、そして英語の試験も終わり、数学の時間がやってきました。昼食をとっていなかったので空腹と戦っていました、ただ尿意に集中しなくてすんだのでまぁいいでしょう。
1日目の最後の試験は科学と人間生活でした。
試験が終わったら救われた気持ちでいっぱいでした。そんなこんなで2日の試験も終わり家に帰ってから採点をしましたが英語と世界史以外は受かっていました。第一高等学院の高認コースは一科目でも受かっていればあとはスクーリングとテストを受ければ他の落ちた科目も単位がとれるらしいですがそれを父に言ったら
11月の試験も受けてくればと言われもういっかい試験を受けることになりました。11月の試験を受けて12月に結果がきました全て合格しました。
ようやく報われたんだなという気持ちで嬉しかったです。
というかんじで2018年を過ごしたのです。2019年は何もしなかったです、上の階がまたうるさくして辛かったです、父の仕事も首になり一時は生活保護になりそうだったのですがぎりぎりで長野の会社に受かって引っ越す準備がはじまりました。こちらとしても願ったりかなったりでした。
3週間ぐらいで荷造りが終わり2020年の1月に長野に引っ越しました。そして今に至るというわけですね。障害年金もいつまで貰えるのかわからないのでプログラミングや英語の勉強なども始めました。
そしてこの文章を書いている4月現在の生活はどんな感じなのかというと
2時間プログラミングの勉強をし1時間ポーカーの勉強して
1時間絵を描いて40分英語をやり文章も書くという勤勉な生活を送っております、おかしいな、引っ越す前まではたくさん遊ぶぞと思っていたのになぁ。引っ越すときに車で父の小さい背中を見ているうちに親が死んだらどうしようと不安を覚えたのがきっかけでしょうね。
とりあえずwebプログラマーになってポーカーもやれば生活できるのではないかなと今は思っていますけど。
b型作業所で慣れて障害者雇用を受けられれば問題ないかな。
ちなみに遊ぼうと思っても陰性症状のせいでやる気が出ないわ楽しくないわでぼーっとしている時間の方が多いです。
しかも尿意のせいでいつでもセーブできるゲームじゃないと遊べないし。
だから天鳳もやれないんですよね、認知機能障害のせいもあって集中もできないから勝てはしないだろうなと思って。
天鳳のptは金より重いので負ける試合はやれません。しいてこの病気になっていいことといえばキレ打ちをしなくなったということでしょうか、怒りもあまり湧いてこいですからね。
後は絵を描くようになったことですかね。病気になる前は道具は揃えたもののやってもつまらないし下手だったので3日坊主で終わりましたがなにやってもつまらないので絵でもやろうかと思い立ってそれがこの2、3年間毎日1時間以上描き続けられたし絵の上達方法も分かってきたのでまぁそれは別記事に書いておくとして、そんな感じですかね。
障害年金をもらっていて、ただいつまでももらえないだろうなというのは薄々感じていたので自立するために期間を5年ほど見ていましたが
コロナのせいで大不況になりましたね。僕は本当に運がない男ですよ、自立してもいいかなとおもいはじめた矢先これですからね。自殺も家族から監視されてるから実行できないし
苦しみながら死んでいくんだろうなぁ、ろくでもない人生だった。もう二度と人間に生まれたくないしもし仮に生まれるとしたらアメーバでいいよ。生まれてきたくなかった。この世こそが地獄だと気付いた
輪廻転生なんてごめんだ。

 

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昔書いたもの 今より考える力があったね

その時は再発する前だったのだけれどね