統合失調症の見える世界

妄想の世界に閉じ込められている

何一つ報われなかった人生

前にも同じ内容が書いてあるかもしれないが

僕の人生を振り返ってみようと思う

小学校時代は楽しかった、少なくとも小5までは

中学受験をしたのだが小6で友達とは思っていない人がいて

その人にしつこく遊ばされた

ランドセルを家に置くことすら許されなかった

そのおかげで小5までは偏差値62ぐらいはあったのだが

成績が急降下 偏差値は50近辺にまでなってしまった

3回とある学校に試験を受けて3回目で繰り上げ合格できた

偏差値は63だった

意気消沈しているときにその電話がきて報われたと思った

しかし父は僕に相談もせずに断った

わずか5分だった

ぼくの3年間の努力を5分で終わらされたのである

父曰く13歳から自分で好きにしてもいいと言っていたが

私立中学は自由に決められなかった

そうして学歴コンプレックスを発症した

結局行った学校は偏差値50ぐらいの3流中学だった

元々行きたい学校でもないから皆にいじられながらもしかたなく行っていたが

最初の期末テストの世界史で10点もとれなかったのである

今から思えば認知機能障害の影響ではと医者が言っていた

勉強しか取り柄が無いと思っていたから僕のプライドはごなごなにされた

ほかにも理由はあるのだが省略しておこう

自分が惨めに思えて学校を辞めることにしたのだ

そして家にパソコンがあったので某掲示板ばかりみていた

スペックも低かったのでそれぐらいしかできなかったのである

16歳になって父が通信制高校に入ることを条件にハイスペpcと光回線を契約してくれた

僕は3か月で通信制高校をやめパソコンでニコニコ動画を見たりオンラインfpsゲーム

AVAをやっていた

高校を辞めたのは中学時代の友達がいたからそそくさと帰って行かなくなった

そんな感じでFPSゲームをやっていたのだが途中で必ず飽きて3,4回はアカウントを

作り直したと思う

そして完全に飽きたので何かいいオンラインゲームを探したところ

麻雀のゲームをみつけた、昔、父が教えてくれたので試しにやることにしたのである

雀龍門3をやっていたが有料化されて天鳳に移って毎日5時間は打っていた

ちなみにおこづかいは一銭もだしてくれなかった

なので完全無課金でネットの情報だけで鳳凰民になっていた

雀荘の店員になろうかと自信がついてきたところ

父ののどなどにポリーブができて痰を吐きまくってストレスがmaxになり過敏性腸症候群になって親にも病院に行って調べてもらえばと5回ほど言ったのだが

俺は病院が嫌いだからという理由で睡眠時間も2時間未満になり耐えられずに

硫化水素で自殺しようとして家族に見つかり精神病院に入院したのである

統合失調症といわれ薬を飲む羽目になった

ちなみに帰ってきたら父が天疱瘡だとかで入院していた

どうせ入院するなら早く入院しろと思った

結果僕は一生病院通いになったのである

あとは高卒認定試験も半年3時間毎日やっていたが

合格はしたのだがハンデが多すぎた

尿意切迫、認知機能障害、陰性症状である

合格したものの尿意切迫やがひどくて働けなかった

そして長野に仕事上の関係で引っ越したのだが

大家とトラブって一年後に今いる場所に引っ越したわけだ

引っ越しの際ストレスが過剰にかかって再発してしまったのだ

長野にいたときはn予備校でwebデザインの勉強をしていたのだがこれも無意味になった

そしてクロザピンをためしたが全然治らなかった

ちなみに最近分かったのだが父の膝が悪くなったのは出された薬を飲まなかったせい

さらに母と結婚して子どもを作る最中にはすでに

母が統合失調症だとわかっていたらしい

そういうわけで何一つ報われなかった人生だった

上手くいきそうなことに限ってちゃぶ台返しに合ってきた

これまでの経験で学習性無力感になったので情熱などとうになく

絶望しながら無意味な日常の繰り返しを過ごしている

ハッキリ言って何のために生きているのか分からない

なにもできなくなり、死ぬことも許されない

もう疲れたよ